デスマーチ(死の行進)とは、長時間の残業や徹夜・休日出勤がなぜかいつも常態化してしまう、ソフトウェア開発者の労働をめぐる状況のことをいいます。この言葉が最初に世に出てからもうかなりの時間が経過しています。皮肉なことに現在、デスマーチが再度注目されています。背景には働き方改革の議論があるかもしれません。特集2では、ソフトウェアエンジニアの働き方を通じてデスマーチと呼ばれる現象を再検討してみることにします。同時にこのことが働き方改革の現在地を確認することにもつながるかもしれません。

<聞き手>:編集部 岡田 英之

社会学者 宮地 弘子 氏

ゲスト:社会学者 宮地 弘子 氏
社会学研究者。ソフトウェア開発者として一般企業2社で約8年間勤務したのち、筑波大学にて博士号取得(社会学)。専門は、質的調査、エスノメソドロジー、現象学的社会学。
昨年、博士論文のエッセンスをまとめた新書『デスマーチはなぜなくならないのか――IT化時代の社会問題として考える』(2016年、光文社)を上梓。独創的なアプローチで労働社会学の新たな可能性を開く成果として、また、経営史に残ることのない現場のエンジニアたちを対象とした貴重なインタビュー調査の記録として評価を得る。
現在は大学の研究員や非常勤講師という立場で、主にIT業界をフィールドとした労働と組織をめぐる諸問題の研究活動に取り組む。

岡田英之(編集部会) 本日は社会学者でIT業界の働き方について研究されている、宮地弘子さんにお越しいただきました。まず自己紹介をお願いします。

宮地弘子(社会学者) 大学院の修士課程を修了後、小さなソフトウェアハウスに就職し、その後大手のソフトウェア開発会社に転職しました。30代半ばになり、自身の働き方に疑問を持ったことをきっかけに、社会学研究の道へ進みました。専門分野は主にIT業界をフィールドとした、働くことをめぐる諸問題の社会学です。特に、質的調査とその相互行為論的分析を専門としています。

◆数字には現れない「質」

岡田 質的調査とはどのようなものでしょうか。

宮地 参与観察やインタビューなどアプローチはさまざまですが、実際に問題が発生している現場に入り込み、そこで起こっていることをつぶさに調べてみようというのが基本的なスタンスです。
 例えば金融業界とIT業界では、同じ残業時間が記録されるまでのプロセスは異なるでしょう。また同じ業界でも、会社や部署、人によって異なるかもしれません。統計や客観的な数字には表れてこない「質」を含めて、問題の具体像を捉えようとするのが質的調査です。
 昨今、電通の過労死事件が注目されていますが、働く人自身も長時間労働が心身の健康に良くないことは分かっているのです。にもかかわらず止められないのはなぜなのかを、様々なレベルの個別性を踏まえつつ捉えられることが、質的調査の強みだと思います。

◆どこでもデスマーチは起こりうる

岡田 ご著書の『デスマーチはなぜなくならないのか IT化時代の社会問題として考える』についてご説明いただけますか。

宮地 日本ではITエンジニアが単純作業者として扱われることが多く、諸外国と比較して勤怠面での自律性や給与面で地位が低いと言われています。ただ今回取り上げたのは、ソフトウェア開発エンジニアがスペシャリストとして扱われ、自律した働き方ができる企業の現場です。

岡田 専門家として尊重され、自律的に働けるのなら理想的な職場ですね。デスマーチとは無縁に聞こえます。

宮地 そうです。最もデスマーチから縁遠いはずの現場で、なぜそう呼びうる現象が起こるのか。事例として取り上げた企業のエンジニアや元エンジニアとのインタビュー調査の分析を通して、その不思議さを考察しました。



◆エンジニアではなくアーティスト

宮地 調査を通して、ソフトウェア開発エンジニアの仕事の3つの特性が見えてきました。まず1つ目は、属人性です。「エンジニア」という言葉から、ソフトウェア開発は工業製品の製造と同様のプロセスだと思いがちですが、実は違います。
 マイクロソフト社のWindowsも毎月のようにアップデートがきます。「どうしてこんな粗悪品を出すんだ」と思われるかもしれませんが、ソフトウェアは人智を越えた複雑性をはらんでおり、バグを取り切ることはできません。技術的な完成がないとも言えます。また柔軟性が高く、顧客の要望に応じていかようにも作ることができるため、作業の標準化やマニュアル化が困難なのです。さらに、ソフトウェア開発者に必要な能力を客観的に測定しようとする試みは、ことごとく失敗しています。

岡田 担当エンジニアによって製品の出来に大きな差が出るということですか。

宮地 複雑でパターンがない一品物の製品を、客観的に測定不可能な能力によって作り上げる。しかも際限なく完成度を追及できるという意味で、エンジニアリングというよりもアーティスティックな仕事なのです。

◆独特のプロフェッショナリズム

宮地 2つ目は、独特のプロフェッショナリズムです。自分自身の優れた才能によってこそ、よい製品が作られているという自負、あるいは「意識の高さ」とも言えるでしょうか。ソフトウェア開発がアーティスティックな仕事である以上、「意識の高さ」は必要です。しかしそれゆえに、気がつけば燃え尽きているという事態も起こりえます。

岡田 「燃え尽きる」とはプライドの高さゆえにポキっと折れる、エリートの挫折のようなものでしょうか。

宮地 そうではありません。「意識の高さ」による燃え尽きとは、ソフトウェア開発者として「きわめて正しく」、自分自身の才能をもってどこまでも完成度を追及するかのように仕事を抱え込んだ結果、気がつけば残業や休日出勤がかさみ、心身ともに疲弊しきっている、という状態です。

◆ソフトウェア開発者の「内罰性」

岡田 エンジニアが望ましい結果のためにプロフェッショナリズムをもって楽しく仕事をすることは、健全な状態ではないのですか。

宮地 プロフェッショナリズムがはらむ危険性の側面にも、十分目を配る必要があるということです。ソフトウェア開発者として「正しく」仕事に取り組み、自発的に仕事を抱え込んだ以上、たとえその結果燃え尽きたとしても、当事者は「自分が悪い」と考えがちなのです。これが3つ目の特性である「内罰性」です。

岡田 「内罰性」とはどういう状態でしょうか。

宮地 当事者は、「意識の高さ」の名のもとに、みずから進んで仕事を抱え込み、燃え尽きたわけです。そこに「働かされた」という感覚は希薄です。燃え尽きは、組織的な管理のまずさや顧客からの無理な要求の結果として説明することもできるはずです。しかし、そもそも「働かされている」という感覚が希薄で、自発的に仕事を抱え込んだ結果である以上、当事者は燃え尽きの全責任を自分の力不足として引き受けてしまうのです。労働組合があったとしても、積極的に相談には行かないでしょう。
 結果として、人が亡くなるなどの衝撃的な事件が起きない限り、問題が表面化しないのです。

◆「理想的な職場」の深刻な問題

岡田 多くのサラリーマンは「仕事をさせられている」という意識だと思いますが、ITエンジニアは違うのですか。

宮地 私自身もソフトウェア開発者として働いていたときには、「働かされている」という感覚はほとんどありませんでした。今回注目したのは、エンジニアの自律性が十全に尊重されている企業労働の現場ですが、「個人事業主の集まり」と表現したエンジニアもいました。

岡田 著名な産業医によれば「パワハラや過重労働など、自律的に働けないことがうつ病の大きな原因」なのだそうです。自律的に働ける「理想的な職場」で起きるデスマーチやうつは、本人のせいなのでしょうか。

宮地 もちろん違います。プロフェッショナリズムの名のもとに、個人がデスマーチの全責任を引き受けてしまう構図が問題なのです。この構図が問題の表面化をはばんでいることは、「理想的な職場」のデスマーチならではの深刻さと言えるでしょう。

◆「理想的な職場」に改革は必要か

岡田 沢渡あまね氏の「職場の問題地図」という本が話題になっています。彼もITエンジニア出身で、IT業界の働き方改革を主張されています。IT業界の仕事を分業し、テレワーク化、在宅ワーク化を進めたほうが生産性が上がるという話です。しかし今の話は全く逆で、仕事はアーティスティックで属人性が高い。自律的な働き方も認められた理想的な職場なら、働き方改革は必要ないということですか。

宮地 私も裁量労働制の拡大や在宅勤務の導入には賛成です。介護離職予防や、子育て中の女性が就業するためにも、多様な働き方を実現する改革は必要だと思います。
 ただ、何事にも可能性と限界があります。例えば在宅勤務の導入には、多様な働き方を実現するという可能性がある一方で、24時間365日の労働を招きかねないという限界もあります。特に今回取り上げたような現場で、プロフェッショナリズムがはらむ危険性の側面をよく吟味することなしに働き方の裁量を拡大することは、多様な働き方どころか、まさに際限のない労働を招くのではないでしょうか。

◆多様化する職場問題

岡田 自律的に働けていないITのエンジニアの方も多いと思います。著書についてどんな反応がありましたか。

宮地 IT産業は成熟を迎え、セグメントは細分化しています。そのような背景もあり、「これは自分が知るデスマーチではない」という意見も多くありました。今回この事例を取り上げたのは、自律性と燃え尽き現象のパラドックスを明らかにするためです。「理想的と言われる職場に移れば問題が解決するわけではない」ことを知っていただきたいと思います。

◆問題解決の鍵は「常識」を疑うことにある

岡田 昨今の「働き方改革」をどのようにお考えですか。

宮地 人事がいろいろな対策を講じても、現場にはなかなか響かないという声を多く聞きます。例えば今回取り上げた企業では、人事が主導して現場の「和」を醸成する取り組みが行われていました。人事には、エンジニア一人ひとりが意地を張って仕事を抱え込み、周りはそれを助けもせず傍観しているように見えたのでしょう。
 しかし、現場のエンジニアにしてみれば、自分の腕にかけてどこまでも仕事を抱え込むことは、ソフトウェア開発者として「きわめて正しい」ふるまいであり、同僚の仕事に手出しをしないことは、「リスペクト」の証なのです。重要なのは、人事と現場では、働くことをめぐる常識が全く異なる可能性があるということです。

岡田 人事の常識は、労働基準法をベースにしています。確かに今の「働き方改革」を単純化すれば、労働時間の削減に関するものが多いと感じます。問題の本質はそんなに単純ではないということですか。

宮地 労働時間の削減は必要です。ただ、今打っている対策の効果が出ていないのであれば、何かを見落としていると考えるべきでしょう。その一つが、人事と現場との常識のギャップだと思います。人事のものさしだけではなく、現場のものさしで問題を理解しようとすることが、実効性のある対策につながるのではないでしょうか。

◆「神話化」されたプロフェッショナリズム

岡田 改革を望まない人は、部外者が「その働き方はよくない」と言っても納得しないのではありませんか。

宮地 そこは重要な論点だと思います。私自身もITエンジニアとしてバリバリ仕事をしていた頃は、改革なんて必要ないと思っていました。ですが、自分自身のライフステージが変化し、子育てや介護を経験するようになった同僚たちの姿を目にするようになったことで、問題意識が芽生えたわけです。問題は「意識の高さ」そのものではなく、「意識の高さ」が「神話化」していることなのです。

◆「意識の高さ」が革命を生んだ時代は終わった

宮地 「意識の高さ」が「神話化」することになった背景には、ソフトウェア開発産業の歴史があります。
 大型コンピューターの時代、ソフトウェアはハードウェア企業の一部門で内製されることが多く、ハードウェア製造で培われた組織的な管理手法がソフトウェア開発に持ち込まれ、失敗を続けていました。その後、小型コンピューターの登場をきっかけとして、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズといった若者が個人の才能を重視してソフトウェアを作るベンチャー企業を立ち上げ、革命的な成功を収めました。従来のやり方に囚われることなく、組織的な管理から個人の力へと発想を転換した彼らのやり方が大成功を収めたことで、個人の優れた才能によってこそよいソフトウェアが作られるという考えが「神話化」することになったのです。

岡田 「神話化」というのは意識の高さが美化されているということですか。

宮地 一つの選択肢にすぎないやり方が、絶対視されるようになったということです。当時の社会的背景を考えれば、ゲイツやジョブズが個人の才能を重視するベンチャー企業を立ち上げたことは、きわめて合理的な選択だったと言えます。

岡田 社会がイノベーティブなものを求めていたということですか。

宮地 小型コンピューターの登場で、個人でもソフトウェアを作り、起業できるようになりました。また、ソフトウェアはまだ小規模で、個人あるいは少人数で作ることができました。さらに、当時のベンチャー企業の現場を担っていたのは、技術マニアの若者たちです。すでに豊富な知識と経験を持ち併せていたうえに、体力的にも時間的にも、手持ちの資源を際限なく仕事に投入することができました。そのような社会的背景があったからこそ、個人が「意識を高く」持ち、その才能をどこまでも投入するやり方が大成功を収めたのです。しかし、ソフトウェアの規模や複雑性、エンジニアたちのライフステージやライフコースのバリエーションは、もはや当時と同じではありません。

◆柔軟な選択ができることが重要

岡田 世間一般のベンチャー企業は、ITに限らず「意識の高い」働き方をしている部分があると思います。若い人を中心に、市場を開拓したり上場するなど、目覚ましい成果を上げています。しかし、そのメンバーも体力的に衰えてくると、「意識の高い」働き方を続けられなくなり、やがてはマックス・ウェーバーの唱えるビューロクラティックな状態に変わっていくということですか。年を取ると続けられない働き方だとしたら、ちょっと残念な気もします。

宮地 「意識の高い」働き方を続けられる人はとても幸せだと思いますし、そうする自由もあります。問題なのは、「そうでなければならない」という「神話化」の部分です。働き方を柔軟に選択できることが重要であり、一つの選択肢にすぎない働き方を絶対視する意識こそが、それを阻んでいるのではないでしょうか。

◆多様化する現状に対応するためには

岡田 IT業界全体では、働き方はどう変わっていくのでしょうか。

宮地 今以上に多様化していくと思います。セグメントの細分化に合わせて専門分野の細分化も進んでいます。IT業界やITエンジニアの問題をひとくくりに説明しようとする、これまでの議論そのものが乱暴だったとも言えます。
 だからこそ、一足飛びに「どうなるのか」「どうすべきか」を議論する前に、まずはそれぞれの現場が抱える問題をきちんと調べ、理解しようとすることが必要だと思います。

◆社会学的研究を活用するための課題

岡田 今後IT業界の人事担当者は、具体的にどういう動きをしていけばいいでしょうか。

宮地 やはり実際に何が起きているのかを、つぶさに調べる姿勢や観点が必要になります。ただ、実務担当者には時間的な余裕も少ないでしょう。そういうときこそ、社会学的研究の蓄積を活用していただきたいと思います。

岡田 そういう研究結果はどこで探せるのでしょうか。

宮地 残念ながらそこは今後の課題です。まずIT業界の働き方を扱った研究自体が、業界の規模の割にとても少ないのです。またアカデミックな場所でしか公開されていないものもあります。実践と学術をつなぐ道が十分でないのが現状です。また企業のコンプライアンスや機密保持の必要から、現場での調査が難しい面もあります。

◆産学協同でより実践的な働き方改革を

岡田 人事担当も研究者の方々と積極的に交流して、情報のチャネルを作っていくべきでしょうか。

宮地 実務家の方からは「なぜを問うよりも処方箋が必要だ」という意見を多く頂きました。結論から言えばどちらも大事なのです。医療の「臨床と病理」に例えると分かりやすいと思いますが、病理を解明することで臨床の治療につながります。社会学の立場は病理研究にあたり、問題解決に欠かせない役割を担っているのです。

岡田 課題が明確化されなければ解決もソリューションもないということですね。

宮地 そうです。実務家と研究者は立場の違いこそあれ、働き方を改善したいという目的は共通です。実務の中で行き詰まった時は、違う角度で取り組んでいる研究者の知見を大いに活用していただきたいと思います。また研究者も、膨大な知見をプラクティカルに還元する方法を積極的に探っていくべきだと考えます。

岡田 最近は社会人大学などに行き、学び直す会社員も増えています。実務家が問題を根本的に解決したいと思うなら、やはり大学院などで学ぶべきでしょうか。

宮地 基本的には実務家と研究者をつなぐ取り組みは、どんなものであれ価値があると思います。まずはやってみるべきです。立場が違い、見える景色が異なるからこそ、双方の意見や考えを持ち寄ることで問題の理解を豊かにすることができると思います。異なる視点や観点を互いに拒絶するのではなく総合することによって、より実践的な産学共同が実現するのではないでしょうか。

◆理解なくして対策なし

岡田 最後に企業担当者、人事担当者に「働き方改革」という視点からメッセージをお願いします。

宮地 現状の取り組みに手詰まりの感があるならば、それは発想の転換を促すサインかもしれません。人事から見た「和」の欠如が、実はその現場独特の「和」のかたちであったというように、経営や人事の立場から見た問題像と、現場の内側から見た問題像は全く異なっているかもしれないのです。「理解なくして対策なし」です。それまでの決めつけを排して、様々な視点や角度から現場が抱えている問題を再点検することが、実効的な「働き方改革」の実現に向けた一つの突破口になるのではないでしょうか。